若干感情観念論のほうが強くなってきたので、今回の問題の本質である中国の主義原則について言及し、論理的な話で進めていきたい。
中国という国は、その歴史が世界でも最も古い国のひとつで、共産主義が台頭するまでは常に世界の最先端の文化と技術を持った国であった。
特にヨーロッパが台頭する時代までは世界でも比するものがないほどに先端を行く、まさに『世界の中心』であったことは疑いようもない。
柔軟な中国の国民は、たえず自国の文化と支配・被支配した国の文化を柔軟に受け入れ、生かすことで最先端の技術や文化を生み出してきた。それはまさに尊敬すべき中国国民の特性である。
しかし、その『世界の中心』たる中国国民の誇りから生まれた『柵封主義』というのは、今も中国にあるナショナリズム【3】の根底にある思想で、これが各国、とりわけ日本との外交摩擦を起こす根本原因ともなっている。柵封主義とは、世界そのものを中国の一部として考え、その中心を中国本国と位置づける思想である。
つまり、中国におけるナショナリズムが、柵封主義のもとに構成されているものであるとするならば、中国を最高の国、中国のトップを世界のトップと位置づけて、世界の文化や経済、権力や宗教はすべて中国の恩恵を受けて『恵んでもらっている』のだから、中国に敬意を払い中国の権利と利権を一番に優先して国家運営や外交を行うのが当然だ、というのは至極当然な主張なのである。
これに原理原則という指向性をミックスすれば、いまの中国の外交姿勢も明確に一貫した論理として理解できる。尖閣諸島のときも、この原理原則が適用された。
『尖閣は中国の領土』
という原理原則があれば、当然ながら日本に謝罪と賠償を求めるわけで、これは民主主義の国家でも自国領土に対して他国の漁船が侵犯してくれば、中国と全く同じ行動をするであろうことが予想される。
尖閣問題で、中国が突きつけてきた要求はいくつもあって、論点になる問題もいくつもあるが、この『尖閣は中国の領土』という部分が『正解』とするのであれば、他の問題は全部解決してしまう。
だからこそ中国はこの部分を決して引っ込めない。
この原理原則と、それをやっても構わない、という暴挙的発想の根底にある柵封主義こそが中国をより国際的に『理解できなくする』キーワードになっているのだ。
ここから尖閣問題は互いに尖閣諸島の実効支配ができるかどうか、という局面にくる。日本がそれをしなければ、韓国との間に起きた竹島問題と同様、相手が基地などの拠点を作ってしまっていつのまにか無理やり既成事実を作られてしまうだろう。現に南アジアの各国は中国にそれをしてやられている。
すでに中国からフロッグマンがやってきて、過去に中国の領土であったことを証明するための工作を始めているという噂もある。工作をしたあと、調査団を引き連れて堂々と調査を始めて、海底や沿岸から中国ゆかりの品物などを引き揚げて、『ほら中国の領土でしょ?』と来るわけだ。
現に南アジアのあらゆる国がこれによって領土を侵されているだけに、冗談のようなこんな話が現実に尖閣で起こりかねない状況下にある。
尖閣付近の資源を『一緒に分けよう』とはいえない国なのである。下手(したて)に出ることを極限まで嫌うのがこの国の特徴だ。頭を下げるくらいなら、無理やり領有権を主張して、強硬に軍隊を送り込んでしまう。それが共産党のやり方なのだから、まさに柵封主義という考え方がピッタリの指向性だ。
チベット【4】 ・ウイグル・モンゴルなどは、もっとあからさまな方法で中国に蹂躙されて大量虐殺・情報統制・実効支配を行われているのだから、日本だけは大丈夫、という保証は全くない。
アメリカがいるなどという世迷言にすがっている日本人も、もはや少ないだろうが、アメリカはあくまで『最終手段』であって、『中国にいじめられた助けてー』と泣きついて、『そうかそうか、よしやっつけたろ。』みたいな馴れ合い関係ではないのだ。
自分の身は自分で守る。それでもダメなら条件次第で助けてやってもいい、がせいぜいで、それ以下であることはあっても、それ以上の思い入れをもって日本に肩入れすることは絶対ありえない。
だからこそ、尖閣問題だけのことを考えるのではなくて、今後起こりうるあらゆる領土・外交問題を日本人は予測して行動していかないといけない。
デモ行進などという問題の上っ面を叩いていては感情的になっていて、問題の本質が見えない。本質が見えないと理解できず、無関心になるか、憎悪が一方的につのるだけという非建設的な方向性を生み出してしまう。
柵封主義と原理原則の国。そことどう向き合うのか。この国は今後どんな摩擦を生み出してくるのか。それを考え、予測し、対応するのが、なんと言ってもこれから重要なのである。
|